これを書いている今、私はインドにいる。ヨガの練習のため、いつもの町へやってきたのだ。先生は今年で60歳近くになるインド人男性で、先生が指導するのはアシュタンガという、数あるヨガの種類のなかでももっともハードなものだが、先生は数十年間、1回2時間のクラスを毎日2回、ときには3回指導し続けている。一説ではインド人の平均寿命は60歳余りとされるなか、全身バネのようなその肢体は日々の鍛錬の賜物であり、世界中から多くの生徒が先生に師事するためここを訪れるのは、先生の指導技術が優れているだけでなく、人柄としても優れた人格者だからだと思う。 しかし今回、改めて感じたのは、年々、先生の動きが鈍くなっていることだ。これまではどんなに難易度の高いポーズだろうと軽々とこなし、キレのある動きを見せていたが、それがどうも今ひとつなのだ。それでも、生徒に見本を示すために先生はポーズを取る。キレがない動きを隠そうともせず、できないポーズもありのままに見せていく。「老いを迎えたひとりの人間」と「実績のある指導者」との狭間に立つ先生が少し切なく思え、しかし、切なく思うのは失礼だという気もして、私自身、複雑な気持ちになった。

人間、年をとればできないことが増えてくる。たとえば、以前は一度見ればすぐに覚えてしまったエアロビの動きも、「頭ではわかっているのに体がついていかない」とイライラすることもあるだろう。かつては軽々と持ち上げていたダンベルが、気づけばビクともしなくなっていた、なんていうこともあるかもしれない。「若さには敵わない、年を取ったから仕方ない」とわかっていても、それを認めたくない自分もいる。日本は、いまや世界随一の長寿国だ。それにも関わらず、年齢を重ねることを疎ましく思い、老化を嫌うという、この矛盾。雑誌などで「アンチエイジング」の特集を読み、「いつまでも若々しく」「年齢に負けないように」などの文言を見かけるたび、年を重ねていく姿をありのままに見せることは単なる自分の怠惰であり、心身共、もっと若さを追求すべきと必要以上に鼓舞されているような気がして、違和感を覚えるのは、私だけではないはずだ。

最近では、「エイジング」によるさまざまな変化をマイナスにとらえるのではなく、心身とも、知的に成熟していく過程と受け止め、「スマートエイジング」と呼ぶ向きもあるようだが、あえて「スマート」という言葉を引っ張ってこなければならないということ自体、本来、「エイジング」を受け入れ難いものと認めているような感じがする。そもそも、人と年齢は敵対するものではなく、片時も離れず寄り添うもの。それなら、そこで起こる変化も自然現象の一つとして受け入れればいいと思うのは、私自身、まだ「エイジング」の意識が低く、自分の変化に無頓着だからだろうか。 そういえば、エイジングの変化について語った面白い学説がある。人間は年齢を重ねるにつれ、自然と食べ物も変わってくるが、年齢に応じた理想的な食べ物について、元桜美林大学名誉教授の故川島四郎先生は、著書「食べ物さん、ありがとう」のなかでこんなふうに書いている。「人間は年相応、食べ物を獲得する力に応じて食べること。自然界の中に体一つで放り出されたとして、その年齢の力量で何が採れるか。その能力に合わせて食べればいい」。たとえば、青年期は身体機能が発達し、狩猟へ出かけることが可能なため、肉でも魚でも好きなものを食べればいい。しかし、老年期になるとそうはいかないため、簡単に入手できる卵や貝、海藻、野菜などを食べようとするのだ。なるほど、と思う。年齢が変われば能力も変わる。行動も変わり、食べ物も変わる。年を取ると、若いときほど動物性食品が食べられなくなったり、おのずと好みが変わってきたりするが、それは至極当然のこと。自然の摂理に沿った変化なのだ。

年をとると、「まだ、自分にはこれだけのことができる」と、つい、「できること」ばかりに目を向けてしまいがちだけど、本当に大切なことは、「できなくなったこと」を一つひとつ受け入れていく作業なのではないかと思う。確かに、できないことは増えてくる。しかし、新しい楽しみが見つかるのも、また確か。走ることがフィットネスだった頃には、歩くことの面白さは知らなかった。どれだけ速く泳ぐかしか興味がなかったときには、ゆっくり長く泳ぐことの充足感に気づかなかった。年とともに変化を重ねた私たちには、経験と知恵がある。年齢という扉を一つ開けば、そこにはまた、未知の世界が広がっているのだ。

私自身、今回インドへ来るまでの間、ハードなアシュタンガヨガはあと何年できるだろうと考えていた。しかし、人生とは決して終わりへ向かうカウントダウンなのではなく、日々、積み上げていくカウントアップなのだと思えば、体や気持ちの移り変わりは淡々とした日々に彩りを加える装飾であり、それらが人生を色鮮やかに染め上げていくのだと思えば、これから先訪れるどんな変化も、両手で受け入れることができそうだ。